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主人の洗脳 〜失敗編〜

家づくりをきっかけに、
シンプルな暮らしを求めるようになり、
今ではすっかり
ゴミを出さない暮らしが趣味になりました。

いかに自分が使い捨てのモノに頼り、
便利なものこそ自分を助けてくれる存在と信じ、
それを買い揃えることにどれだけ執着していたのか、
気付くことができました。

今回は洗剤のお話です。

ゴミを減らしたいと思ったとき、
ラップやキッチンペーパー、プラスチック保存袋、
様々な使い捨て用品だけでなく、
中身を使い終わったあと必ず容器が残る洗剤類、
気になり始めました。

洗剤?
洗剤って何?
調べました。

界面活性剤という言葉が出てきました。

界面活性剤?
調べました。

通常は反発し合う物質同士が仲良くなれる?
みたいな?

私はそう解釈しました。

そこから先は何を調べて、
どんな展開があったのか、
詳しくは何も覚えていないのですが、
調べれば調べるほどよくわからなくなった、
結局よくわからない、
それだけを覚えています。

そんなによくわからないものを使い続けていた、
何の疑いもなくとりあえず使い続けていた。

そう気付くといろんな記憶が蘇ってきます、
不思議なことに。

小学生のころ、
祖父が家に遊びにきたときのお話。

すでに洗濯機で洗濯し、
干してあった乾きつつある体操着、
お風呂場は持っていき、
ゴシゴシ手洗い。

『この汚れはこうやって洗わないととれないんだ』

気にしてもいなかった汚れがきれいになくなり、
洗濯機とそれに入れる洗剤の意味を一瞬で疑う出来事でした。

中学生のころ、
母に家事の手伝いを頼まれました。
母が洗剤で洗った後の食器を
私が水で洗い流しました。

『ちゃんと濯ぎなさい』

自分では洗い流していたつもりが、
何度もダメ出しをされました。
ちゃんと濯ぐってどういうこと?
泡とれてるよ?

アスリートのころ、
海外遠征では洗濯機のない宿泊所が当たり前、
洗濯物は手洗いの日々を送っていました。

洗面台に溜めた水の中に洗濯物を入れ、
もったいぶって少量の洗濯洗剤、
揉み洗いをします。

驚いたのは、
ほんの少量の洗剤でも、
泡立ちが十分なこと。

洗剤を少しでも入れすぎると、
濯ぐのがものすごく大変なこと。

過去の色々な思いがつながった気がしました。

よくわからない洗剤、
いっそのこと無くしてみてもいいんじゃない?

主人が長期出張の一か月、
チャンス到来と試してみました。

何の問題も感じませんでした。

主人が帰ってきてから一か月、
こっそり洗剤無しで洗濯し続けてみました。

何の問題もありませんでした。

いける、
確信しました。

主人に打ち明けました。
『実はね、この1か月洗剤無しで洗ってたんだよね、なんか違い気付いた?』

気付いたとは言いませんでした。

でもそれから、
私が洗濯機を回すと言うと、
慌ててダッシュで追いかけてきて、
洗剤を入れいているかどうか確認します。

残念ながらちゃんと入れているかどうか。

洗剤を使う、
1年半前までは私も疑いもしなかったこと、
それを否定する資格は私にはありません。

でもですね、
こっそり洗脳始めていますよ。

そんなときは、
『洗剤ってそもそも何でどう作られているか知ってる?』
って聞きます。

もちろん私もちゃんと答えられませんが、
主人も答えられないので、
『皮脂汚れにはセスキがいいんだって』
なんて知ったかぶりをして、
セスキを入れるふりしてなーんにも入れてないですから。

ふふふ。

主人の私に対する信頼より、
洗剤への信頼の方が、
はるかに大きかったというお話でした。

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