イグルーに挑戦するとき、
はっきりと言葉にできない感覚があります。
作りたいけれど、
怖い。
何が怖いんだろうか。
失敗すること?
うーん、ちょっと違うかな。
何となくアスリートだった頃の感覚に似ている気もする。
レース前の緊張。
どこまで行けるのか。
どんなレース展開が待っているのか。
どこまで自分の力を出し切れるのか。
どのくらい苦しいだろうか。
わくわくするけど、でも怖い。
あの頃は何があんなに怖かったんだろうか。
そして今は一体何がそんなに怖いんだろうか。
これを書いているうちに見えてきたもの。
覚悟して挑めるかどうか。
挑むにはそれなりの覚悟が必要。
その決心ができるかどうか。
中途半端な、
いい加減な気持ちでは勝てない。
勝てないだけでなく楽しめない。
全力で挑むからこそ先が見える。
自分に足りないものや、
目標達成に辿り着くために必要なもの。
適当にやっては見えてこない。
何が原因かわからないから。
挑むと決めたなら全力を注がなければならない。
まずはこれまで鍛えてきた体力と気力を信じる。
あとは全ての邪念を捨てて目の前に集中するだけ。
2日目は、
前日の気力と体力と集中力を注いだあの感覚がはっきりと残っていて、
またあのゾーンに入るのかぁぁぁ、
またあそこに行くのかぁぁぁ、
あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。
その覚悟がなかなかできない。
9時には時間が空いたのに、
スマホゲームに逃げること1時間。
とりあえず着替えるか。
道具準備するか。
そうやっているうちに少しずつ覚悟が決まっていく。
「よっしゃー、いくぞー!」

10時作業開始。
もう覚悟はできた。
壁がどんどん塞がっていくと跨いで出入りできなくなるので、
まずは大量に雪ブロックづくり。
前日、下部に掘った出入り口は
寒さ対策のためかなり狭くしてあります。
四つん這いにならないといけないくらい。
そのため行き来が大変なので、
壁が塞がる前にブロックを作れるだけ作っておきます。

足りないけれど置き場所がなくなってきたので
15個ほど作ったところで積む作業へ移ります。

ここからが本番。
どんどん小さくなっていく天井の穴を見て気持ちが早ります。
すると時々やるべきことが疎かになります。
新たにブロックをくっ付けようと格闘している最中に、
一つ前にくっ付けたはずのブロックが外れかけ、
さらにはもう一つ前のブロックも一緒に外れそうになったりします。
イグルーへの挑戦を始めたばかりのころは、
経験も技術も何もなく、
危ないっ!と思う前に、
繋げたばかりのブロックがなんと、
3つも4つも5つも一緒にどーーーーーんと落下。
一瞬で木っっっ端微塵。
何と悲しいこと。
わたしの心も粉々に砕けます。
イグルー作りに向き合う精神力もまだ未熟だったころ、
もはや半泣き状態。
本当に泣いた日もあったかもしれません。
でも今は、
「そっか、これはやっちゃいけないのか」
「そうそう、やっぱりこれはダメだよね」
なんて前向きに考えられるようになりました。
一つ一つの成功も失敗も全て、
イグルー作りを極めるための材料と捉えられるようになりました。
作業後半に入ったら、
何度も自分に言い聞かせます。
まず一つ。
とりあえずこの一つを繋げてみよう。
心のずーーーっと奥の方に見えるゴールをとにかくどこかへ追いやり、
目の前の一つだけに集中します。
そうやって一つ、また一つと重ねているうちに
「あれ、なんか狭いな」と気付きます。
だいぶ天井が塞がってきていることにそこでようやく気付きます。

嬉しくなってすぐ寝転びたくなります。
しばらく空を見上げてにやにや。
突っ走ってしまうわたしには、
ちょうどいい休憩時間に。
また作業に戻ります。

もう少し。
また寝転びます。
終盤は、
穴に合わせた形にブロックを切り、
地道に隙間を埋めていきます。

いよいよあと一つ。

上から見るときれいな三角形。
最後は上にポンっと乗せてみました。

やばい、完成した。
完成したーーーーーっ!!!!!
昨シーズンは何度も挫折し、
結局一度も完成させられませんでした。
いけると思って完成させられなかったあの日、
全ての気力を失ってとぼとぼ家に帰ったあの夜。
あの日の自分に
「やったよ!成功したよ!」
「あの日の経験が生きたよ!」
心の中で伝える。
この先に何があるのかわからないし、
なぜこの先に進んでみたいのかもわからない。
でもこのイグルーが完成した瞬間から、
もう次のイグルーに向けて勝手に頭の中が動いている。
「次はこんなふうにやってみようかな」
この先に何があるのかな。
楽しみでしかない。